今日は、コーラスの方々

初めてイタリアのカンツォーネに挑戦

イタリアの響きは、なかなか習慣や使ってる言語

お国柄な普段の思考とか

食べるものも違うから身体つきも違う

何かとちがって

イタリア人歌手からOKの出る声はなかなか難しい。

大抵日本人の声を聴くと、喉が詰まっていて

響きが暗くて

て、そんな風に聴こえるみたいです

やってもやっても、イタリア人からは違うみたい

私は、個人レッスンの方にもコーラスの方にも

少しでも、声が出しやすいと感じて

楽しかったらいいのだと思います。

そして、プロの歌手達は、日本とイタリアの全ての違い

根本からの違いを全部解った上で

ならどうする?

と、工夫をして

ヨーロッパ人に謙虚に習い

ヨーロッパ人に近づけていく努力が必要だと思います

そして、楽しみ方も知る必要があると思います

なので、もう私はあまり声の突貫工事だとか

才能があるとかないとか、感性がいいとか悪いとか

もう受け付けなくなってきてしまいました

日本人はヨーロッパ人と同じにはいかないのだから

それならどうする?という具体的なアドバイスが貰えないレッスンは意味がないと思います。

そういう意味では、私の師匠は1分で声を変えてくれる

何故なら理論がきちんと解っているから

そして、日本人だから言ってあげられる事柄も知ってる

日本人だから、なぜそこがわからない、できないのかを

気持ちを知ってるから教える事に長けておられました

身体がきゃしゃな人、大きい人

いろんな骨格の人がいるのに

出し方がこれだけ、なんて

それはあり得ない

なので、私はとにかくありとあらゆる身体つきや

時にはその人の性格に適した声の出し方を知っていたいと思います

自分については、自分独自のものを開発していこうと思います

あの人がこうしているから、と言っても

あの人と私とでは、何もかも違うのですから

また、歌には歌詞が外国語でついています

歌詞の理解度

これもその国の言葉をネイティブに話せるのと、話せないのとでは

声の鳴り方も雲泥の差なんです

しかし、これも教育上、日本人は外国語も苦手とくる

もう、ヨーロッパ人から見たら

救いようがない

だから、冷たい言葉をぶつけられる

ほんとの講師になる事は

とっても難しい

人として生きてる限り

しかも、年長になればなるほど感じてしまう

なんだか悲しくなってしまうような

言葉を投げ掛けられたりしてる人も沢山います。

結構な年齢になってまで、習いに来ようとする事には

やはり、奥に秘めた何かを持ってるからだと思うので

こうしたらいいよ、と、その場でその人が変わり

パッと納得させてあげられるレッスンができないようだったら

私は講師にはならないかも

やり方は一つじゃないんですよね

その人その人によって

微妙に違ってくるのは当然です

そしたら、何パターンかは

方法を知っておかないといけないと思います。

私は歌手になれなかったから講師になってるそういうタイプの講師とは違いますのでね

それに、歌手としての魂は十分に備えております

どちらかというと、気持ちの上では、歌手としての自分の立場を持っていたつもりです

これからの講師は、あんまり失礼な言葉を使った教え方をするのは、もう流行らないと思います

自分は、いろんなレッスンを受けたり

見たりしてるといろいろ思います。

具体的に何処をどうするのかを言えない講師は多いと感じます

その瞬間変えてあげる事ができない講師は、ただただ、人の気持ちを傷つけると思います。

淡々と静かに、冷静に伝えていくそういう態度と精神と

テクニックが必要だと感じています