大抵の願いは叶うものです
叶わないのは、意思が弱い
在原先生の言葉です
私もそう思います
私も一通りは叶えた
正に意志が強かったからです
オペラの舞台にだって、何本かは立っています
イタリアにも行きました
ちゃんとそれなりの舞台に立ってきました
しかし、途中から続けていく意志が弱まりました
正に先生の言葉の通り
叶わないのは、意志が弱いから
しかし、それがやりたい!と思って生まれてきています
なので、失敗しても、それなりのやり方で腐らず続けてきています
今度もきちんとした本番が2つも立て続けに
これまでも、素敵な場所で沢山の数、本番をこなしてきています
立派なコンサートホールだったり、教会だったり
時に野外演奏もあって、老人ホームや、病院でのボランティアもありました
全て、きちんとした内容できちんとこなしてきました。
在原先生も、イタリアでは劇場には立てなかった
何故なら当時、日本人男性が、イタリアの劇場に立つには、帰化しないといけなかった
なかなか難しいことです
でも一生懸命に追及し、勉強した
なので、日本に40歳になってから帰ってきて、会社を設立し
Belcantoの神様と呼ばれる歌手達と仕事をした
僕は好きな事をやれている事がとても嬉しいんです、と語っています
強い意志さえあれば誰だって夢は叶えられる。と
僕のやる仕事は、とにかく良い歌手を連れてくることに尽きる、儲けより、本物を解って欲しい
お金は、トントンになればそれでいい
もっと重要な任務が先生の心の内にありました
歌は、呼吸法ができてないのでは話にならない
日本の声楽のレベルをあげたいし、日本の声楽の教育を見直さなくてはならない
先ずは本物を聴くこと
このように語っています
私はそういう使命感を持った先生に習いました
イタリアに行ったから良い歌が歌えるのではなく
先生は、イタリアでも、ちゃんとした事を教えてくれる先生を自分で探しあてたのです
歌える事と、教える事はまた別の話です
なので、イタリア留学が、二、三年のつもりが、13年にもなって、40歳にもなってしまってました
三年で帰ってくるよ、と待っていてくれた奥様は、13年も待たされて
待っていてくれた、感激した、と
日本に帰って直ぐその奥様と結婚したそうです
結婚を約束して、留学した
私の内にもいつもこの景色があります
心の中に、この景色があるのと、ないのとでは
何かが、全然違うと思います
声に表れてくると思います
段々と、その景色が色濃くなっていく
まだ完成していない
けれども、段々その景色が私の心の内に近づいてくる
イタリア語レッスンにも、直ぐに戻れると思います
この度頂いた宝塚での本番は、私の第2の人生の、はじめの一歩となりそうです
何故そう思うかは、あんまりここでは語らないでおこうかな?と思います
ここからまた、人生が広がって行くのだろうなと思います
例え、会場がマンションの集会場であったって、そう思える心情です
今まで、それはそれは立派なコンサートホールでの出演や、オペラ公演、ありました
でも、今までとは、全然違う心情です
いよいよ、第2の人生の幕開けのように感じます
50歳からが、本当の歌を歌える年齢に
私は好きな事をやっている
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