意外と私は、どんな事があっても幸せで居られる自分があります
自分の発する声のトーンが、何故か自然にいつでも明るい声が出るなあと自分で思います
不幸だと感じるのは、自分の事を人から下げられたと感じるような会話をされた時に、物凄く怒りと悲しみが襲ってきて、それが不幸です
その怒りを静めるのが大変で…
今はもうそんな事は起こらなくなりました
本当に悪意を持って、言葉を向ける人との縁は切れましたし
悪気はないのよ、と、あんまり考えなしに言葉を放つ人とも、そんなに話す機会は作りませんし
この悪気はないのよ、も、本当はなんだかなあと思うんです
ですが、そういう出来事からも自分は学んでいます
人と話す時にうんと気を付けようと思いますものね
あと、自分がそう言わせる隙を見せてるんだなとも思ったりするので
自分の振る舞い方を見直したり
微妙な、どちらとも取れるような言葉を使って会話はしない
私が学んだ事は、この人とは仲良くなりたい、いつまでも仲良しでいたいと思う人とは
なるべく、その人の良さが引き出されるような会話をしようと心がけます
その人のテンションが下がるような会話の仕方はしない
微妙な言葉は使わない
もし、つい、まちがったかな?と思ったら、うんとフォローは必要だと思いますし
そんな事を学びました
特に女性同士の会話の中で、同じ女性なら解らないかな?と思うような、女性として、それは悲しいわ、と思うような言葉を悪気はないまでも、無神経に向けられるのは、嫌だなと思います
女性同士だから余計に気を付けなくてはならないこともありますね
ですが、人はほんとにその人にとっての間違いをしてしまったりもします
私なんて、間違えだらけをしてるような気がするので、いろんな学びの場を必然的に与えられたような気がします
自分が傷つかないとピンと来ないこともあったのだと思います
なので私も、人からの言葉にそんなに神経質に目くじらを立てたりはしないのですが
これはその人との相性もあるのでしょうか?
悪意はないとは言ってもなあ、と、なんかいっつも、そこなんで間違えるのかな?と思う人との会話は、結局後で疲れます
ですが、それ意外の事、例えば、生きていかなくてはならないという場合いに
職種をどうのこうのとか、この日本に置いては、あまり差別や区別はないと思うので、どんな職に付こうが構わない
ここ二年は、自分にとって、何を大切にしたらよいのかを迷ったりもしましたが
お金になろうがならまいが、心の豊かさの為に、歌は大切にしようと決心ができたように思います
生きる為の職業は、なんでもいいじゃないか?と思います
自分が納得していて、歌の活動に邪魔にならないもの
そして、あまりに心と身を削るような働き方にならなければ
意外と他の職業と両立させた方が、精神的に穏やかで身体も健康でいられる、と、いうことが最近よく解りました。
ですが、それも時期が来ての事ですね
今までは、今までの生き方で良かったのですし、喜びを持ってそうしていたのか、一生懸命に理解をしようと頑張って演じていたのか?
幅広く受け入れる、という事をしようと努力していたのだと思いますが
なので、いろんな事を学べて面白かったけれども
最近は、ちょっと疲れるなあとも思って
本来の自分を思い出そう、本来の自分に戻ろうとしています
今の自分の感じから
私はいつのまにか、広く考える事ができるようになって
万が一、誰も歌いには来なくなったとしても
あー、その学びは終わったんだなと思って
私はそれなりに生きる術を見つけるのだと思います
決して、不幸だとも思わないと思います
ですが、今現在、楽しみに歌いに来てくださってる方々が、このコロナ禍でも若干数ではありますが、居てくださってるので有り難く思っていますし、嬉しいと感じています
これを基盤に、また今までとはムードの違う
歌の場が築かれて行く事を期待します
今までが良かったからこそです
自分に、生きる力があることに、自分で嬉しく思いますし
自信がある事が、嬉しく自分で思います
自分の軸がしっかりあることに、なんだか言葉にできない喜びを感じます
人は、究極のところ、どんな風にでも生きたらいいのです
生きる気力さえ失くさなければ
そんなに恐ろしい事にはならないはずです
孤独に感じる時も、そんな気がしてるだけで
本当の孤独ではないと思いますし
例え本当に孤独だったとしても、ほんの一瞬の事だと思います
頼もしく、力強く
ただ生きるだけではなく、夢を持って生きましょうと、思います
変に悟ったりせず、無邪気に生きた方が
人生は楽しい事だと思います
どんな事があっても
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