最近とても感じる事は、声についてのアプローチの仕方は、受け取る側の理解力や、精神的なものによって、それぞれだと思います。なので、声についてのアプローチの仕方は1つではないと思いますが、私の考え方は次の通りです。

特にソプラノは、鼻腔に声を上手く当てる事ができて、明るく響かせたいのですが、その時に単純に、歯を見せてとか、笑った顔でとよく表現されますが、私はそれが、結果的に自然とそういう状態になってもらいたいと考えています。

先に結果(答え)を教えてしまうと、結局、歯を見せる為の、または笑った顔を作る為の余分な力が加わるような気がします。
先ずは息が身体にしっかり入り、喉を開ける事、喉を開ける事は、感覚的に喉の奥を意識する作業になると思います。

そしてブレスは、ヨガや、禅に近いゆっくりとした練習が毎日必要です。

息の道は、やはり後ろを通した方が良いと思いますので、後ろの空間を意識する事になるでしょう。その時に、声は息と共に後ろから鼻腔へ向けて、声を当てる事が結果的に、 鼻腔できちんと声がなる状態だと思います。

ポイントは、『息と共に!』

その結果、顔の筋肉は、よく言われる少し微笑んだような…、ほっぺたの筋肉が上へ引き上げられたような…、前歯がチラッと見えるような…、状態に自然となるとおもいます。

するとこれも結果的に!

出て来る声は、明るく鼻腔で鳴っている、響きのある豊かな声となるでしょう。

よくありがちな事ですが、結果の答えを先に教えてしまい、息の動きも教えてはいるけれども伴わず、受ける生徒の側は、まるでスタンプを張り付けるように、発声の為の顔を作ってしまい、息の方向を全く考えない人もいます。顔を作る事に必死になり過ぎて、大抵やり過ぎ、不自然、恐ろしい顔に仕上がっています。見た目も不自然な上に、声も作られた声になってしまってるような気がします。

顔の表面上の事は、一番最後の作業ではないでしょうか?と私は考えています。

先ずは、基本的な身体の使い方、それだけでも普通にできるようになるまでには、時間がかかります。

そして、全てはブレス(息)、息と共に在ること、それが一番のポイントであることを、身体と脳裏に徹底的に植え付け、全身の動きと息、全てが繋がって、顔表面上の事は、結果的にそうなっていることを、受講者側に確認させるくらいが、ちょうどよくできるのではないか???と考えています。

しかしながら、冒頭で申しましたように、発声法は受講者の身体の状態、理解力、精神的な事で、アプローチの仕方はさまざまだと思います。

講師側も教えるとなったら、常に相手をよく観察し、根気強く、研究熱心である事が、講師としての心構えとなります。また、生徒に対する思いやりと、人としての愛情が何かのアクシデントにより、その生徒に対して持てなくなった場合には、教えられなくなる事も、あると思います。 

つまり、講師と生徒の間の信頼関係が重要になります。

習う側も、その先生を信じて、辛抱強く、じっくりと構え、こつこつと、ゆっくり進んでいく努力が必要です。