バロック音楽の声楽はかなり自由に歌うみたい

口のフォームがどうこうとか

やたら支えとか言わないみたい

いろいろ調べていると

全ての音をきっちり響かす必要もない様子

歌い上げる必要もない

実はバロックの方が今でいうロックっぽく思ったりする。

怒られるかも?

凄くテンポが早いし

これは私の勝手な印象

でも、Belcantoになると

ホールも大きくなるし、オーケストラも編成が大きくなるし

歌い上げていかねばならない作りになる。

バロックはもっと日常生活の事を歌にしてたり

祈りのうただったり

仕事の歌だったり

もっと庶民に身近だったのか?

でも、だんだん貴族たちの娯楽となり

絢爛豪華になるにつれて様式が確立され

そうすると、歌い手は如何に遠くへ声を飛ばすか?が課題になり

華やかに力強く歌い上げていく必要が出て来て

Belcantoが生まれた。

だけれど、ここで重要な問題が!

自由に歌う

バロック音楽はそうだった

だけれど、ヨーロッパ人が歌うのと

日本人が歌うのとでは

また様式が違うんだよね

日本人が西洋音楽を楽しく自由に歌いましょう

とすると!

バロックもベルカントもあったものじゃなくなる

西洋音楽としては違うものができてしまう

基本どちらも元々喉が開いてる事が条件

そういう意味では、Belcaantoは

理にかなった歌い方になるんだよね。

五線符を使った音楽を歌う限り

喉は開いてないといけないんだ

日本人歌手はきちんと認識しなくてはならない

歌を歌うにあたり、喉を開けなくてはいけない!

この事をちゃんと知って

喉の開け方を知ってる先生に習わなくてはならない

出来てる気になってる私は先生から

徹底して喉を開けるとはこういう事!

ちょっとね…

なんとなくね…

先生の言われる事を耳で聞いてるだけ

と、

心で聞くのとは違うからね

対立が生まれた時があった気もするけど

柔軟で素直な心を持つ私は(笑)

先生の言う事に耳を傾け従ったし

心もそっちへ向けたし

やってる最中は、先生を心から信じてた

私は喉を本当の意味で開ける

その事を知るためだったのか

何故かBelcantoへ導かれ

何故か歌手ではなく

声楽教師がしっくりきてるんだあ

気持ちとは裏腹に

歌手をやってる時より

教師をやってる方が何故か安定するし、

何故か導かれる

声楽教師をやっていたから!

本物に出会った

歌手を頑張ってやっていたら

本物にはなれなかったし

本物を知らないまま

《井の中の蛙大海を知らず》になってたと思う。

それこそ大いなる者達に導かれた

そんな感じがしてならないんだあ

現代社会で、日本人として西洋音楽に触れている事

それをまた教える、て…

本当はめちゃくちゃ大変な難しい仕事でした。

今ごろ気がついて…

そして、最後にまとめ

何音楽をやるにしても

喉を開きましょう

でした。😱🙇👋