お知らせ

お久しぶりです。

最近、サーバーの移動処理の為、ブログをお休みしてました。

まだホームページの会社の人からは、その作業の終了の報告は聞いてないのですが

あんまり長いので、勝手に試しにブログを書いてみています。

上手く投稿されるでしょうか?

ダメもとでやってみてます。

ブログをお休みしていた間、私の心にいろいろあったんですよ。

ずーっと泣きっぱなしの日々。

心がちょっと傷ついてしまいました。

歌を長く歌っていたら、それはいろいろあって当然です。



でもね!

自分のペースで自分を信じて

常に上を目指して黙々とやっていたらいい事なんです。

自分に向けられた他人からの言葉を鵜呑みにして

傷つく必要はないと思いつつも・・・

その人の無神経な言葉のチョイスに腹が立つやら、傷つくやら。

何か人と競争する事をけしかけられてるような気もしました。

きっと、それはその人の心の状態が良くないのでしょうね。

また私自身、常日頃、どんな心になってるのでしょう?

それが大切。

自分に焦点をあててみます。

心というより、ものの考え方を改めないといけないかもしれません。

自分にとってとても受け止めがたい侮辱と思うような

不運な言葉を他人から自分に向けられると言うことは!

常日頃、私自身も人の事を常に相手と同じに見てるのでしょうか?

その人の事を、ではなく

周りにいる特定の誰かを、

常に人を・・・

・・・・・・・・???

例えば、人からバカにされたと思ったとしましょう。

常に自分が誰かを低く見ている

バカにしている

周りの人を何処か甘く見ている

そういうことでしょうか???

相手は、自分の心を写し出した鏡と良くいわれます。

私の場合、バカにされたのではありませんが、私にある事をわからせたい、はっきりわからせたい、あんたは勘違いしていて、自惚れやさんですよとわからせたい。

どうしてもそれを私にわからせたいのかな?

そう感じるような言葉を向けられました。

私も恥ずかしながら

そういう感情がよくわきます。

相手にわからせてやりたい

はっきりわからせてやりたい!

というこの感情。

でも、はっきりわからせてしまったら、人は大抵傷つくものです。

そう思って言葉を吐くときは

大抵思いやりなんてありません。

ただただ自分の感情のみでしょう。

そういう風に、わからせてやりたい!

言ってやりたい!

と言う感情や行為は

結構

見苦しいもの。

端から見たら大人げない事です。

しかも、貴方何様???

てな事になります。

だから、実際には私はそんな事はしないのですけれど、

人の批評や、批判めいた事を常に心でしていたら??

それが時に人を介して写し出される事、あるみたいですよ。

人をジャッジするみたいな事を心でしていたら・・・・

そう考えたら、私はかなり性格が悪いですね。

わからせたいを我慢してるんだから

言葉にはしていないのだから

思うくらい罪じゃないわ!

思うものしょうがない!

て、思うかもしれないけれど

本当に心が優しく

謙虚な人は

こう思うでしょう

なんで私のような分際で、人にわからせたいと思う必要があるの?

そもそも、わからせてやりたい!

言ってやりたい!

と言うような感情は

優しく謙虚な人の心には

わかないものかもしれません。

わからせたい、言ってやりたい!

と言う感情は

高慢です。

自分の子供でもあるまいし

どの立場で解らすの?

どの立場で言うの?

先生という立場や

会社の上司

と言う立場を借りて

時に若者を大人になりなさい

学んで自分を知りなさい

と悟らすことはあるかもしれません。

それだって、気を使う大変な作業

ある程度の年齢になっていたら

その人にも生きてきた経歴もあって

その人なりのプライドもあったりする

何かの先生であっても、上司であっても

とても気を使って話さなくてはならず

それでもその人の為になるならと

言葉を選んで悟らせる時もある

それを

なんの分際で

わからせたい?

言ってやりたいの?

どの立場で?



普通の大人同士の世界では、わからさないと!なんてあり得ない事です。

わからせてやりたい!は、ほんとにその人を侮辱することのなにものでもないと思います。

わからせてやりたいその相手が

とんでもない勘違いの自惚れやさんであったっていいじゃない!

自分にとってそれが何?

何か害があった?

そうでもないんだったら、勘違いさせておけばいいじゃない?

いつか何処かで恥ずかしい思いをして気がつく時がくるわ!

と思って、気にしなければいいじゃない。

わからせたいほどその人が気になる!

ていうことは、その人自身の心に何かあるのよね。

例えば、自分が欲しかったのに自分には持っていない何かを相手が持ってるとか・・・・

わからせてやりたいと思う対象人物は、それを全部持ってたりしてね。

自分に足りない何かを全部持ってたりするの。

ある意味、妬みがそういう形で無意識に表れただけ

「千賀さんて、ちゃんとした大人の人?どうなの?」て、近くの人に聞いてた人いたわ。

気分の悪い、たらありゃしない。

その人は自分がまだ子供の心である状態に気がついてないのね。

ちゃんとした大人は

そういう言葉を吐かない。

自分は大人でございます

とはしない。

大人になる・・・・

これは生きてる限り

どの人にとっても大変な課題のはず

なかなか大人になんて

なれないものですよ

と、還暦過ぎた人が言ってました。

大人になるために

日々学んでいます

と、言うもの。

どの人も大人になるために心を磨き

努力してるもの。

面と向かって、あなたちゃんとした大人?

なんて・・・

大人同士の会話で成立するわけがない

私は黙りこんじゃった

だからその人

隣の人に「ねえ?どうなの?この人!」

て聞いてた。

きっと、誰かの上に立ちたかったのね?

私は貴方より大人よ

をやりたかったのね。

私は貴方より大人だから

あなたみたいなそんな間違いは

私はおかさないわ

と・・・

そして周りに

自分はちゃんとした大人であることを

示したかったのね。

そうおもいました。

大人になる、て、

どう思ってるのかな?

どの人間にとっても

一生を通じての課題のはずなのに。

・・・・

ブラウザーの不具合の為、1週間~10日ほどブログの更新はお休みします。

・・・・・

なんかブログが変だ。

・・・・

今日も月に一度の私の勉強の時間。

充実した時間で良かった。

凄く落ち着いたレッスン。

私の歌の先生は、80歳目前。

私はまだその半分しか生きてないわ。

先生すごーい。

東京から神戸に毎月5日間のレッスン

朝から晩まで

大変だよ。

今日、テノールの人に、アクートのCeは、ポケットから、ひょい、て出すように、出せるようにならなくちゃ。

て、言ってたよ。

ポケットからひょい、て出すんだって!

出し方があるんだよ、て。

世界のどの先生より、どんなに凄いか

ここでは説明できません。

ポケットからひょい!

て出すのよ。

“Ben e Holly Italiano Episodi Completi – Compilazione 2 – Cartoni animati” を YouTube で見る



ものすごく可愛らしい。

Che carina e dolcissima.

今年もやる気満々

今日は風邪ひきさんが多く沢山時間が空いたので

リゴレットの1幕の譜よみしました。

今年は、リゴレット、ラボエーム、椿姫、アミーコフリッツの全幕を読む目標です。

 トゥーランドット、プリターニ、バタフライもやらないと。

他に先にやっとかないといけないものはあったかな?

どの順番で行こうかな?

高みを目指して努力を続けたい

より高いところを目指して、今の努力を続けたいです。

わたしなりに自分を少しずつ成長させていく意識が大事です。

イタリア語の勉強はこれからもずーっと続けたい。

歌のレッスンは、在原先生のレッスンがほんとは一番自分に合っていて

世界のどんな先生より

在原先生のレッスンがいいんです。

私のアクートは、昨日のオーディションの中では、一番美しく余裕のあるアクートだったように思うのだけど。

来年もまた挑戦しよう!と言い聞かせてはいるけれど…

もう一回くらい挑戦してもいいと思います。

実はそう言い聞かせています。

そんなに身の丈に合わない挑戦をしたつもりはないのだけど

何故なら、一年間のイタリア研修オーディションだから。

何もイタリアの舞台に立って歌わせてと言ってるんじゃないのに。

勉強しに行くくらい、て思いますが

ほんとに今日は、あんなに、あんなに歌えないなんて、ほんとにどゆ事?

と、さっぱり訳がわからないのです。

あんなに歌えない事、今までにあったかな?

て、思います。

なんであんな事が起こる?

全くもって信じられない。

Che cosa succede? 

Non ci credo 

Incredibile. 

だけれども、きっと

受けてみようと言う気持ちになった事は

きっと、今の歌の先生のおかげなのだと思います。

在原先生と言います

在原先生にであってなかったら

受けようと言う気持ちすら起こらない

もっとうだつのあがらない生活だった事と思います。

そういう意味では

私の人生は、キラキラと輝き出したと思います。

神様は応援してくれてるような気がしてました。

もう少し歌う能力があると思ってました。

友達が、一人で神戸から東京へやって来て

一人で何もかも決めて

すごいガッツだなあ

て言ってくれて。

嬉しいけれど

きっともう五年もしたら、そういう挑戦はしなくなると思います。

最後のあがきです。

今ならまだ間に合うのではないか?

人生のやり直し

最後の力を振り絞って頑張って挑みました。

それと、この歳になったら、勇気が人知れずいります。

この勇気を出した事は、自分で自分にご褒美をあげなくちゃいけない。

仕事だって持ってる、それでご飯を食べてる

それなのに、勉強の為とはいえ、1年間もほっぽってイタリアへ行こうという勇気は大変なものでした。

何度も何度も襲ってくる迷いと葛藤しながら過ごした数週間でした。

実はオーディションの当日、朝になっても心がちょっと迷ってました。

でも、それも振り切って、通ってから考える事、として

とてもいろんな葛藤があって大変なものでした。

それから、自分にとってどうでもいい人からの評価を気にしたり

年齢を気にしたり、それもやめよう。

私の歌の評価をとっても失礼な言い方で面と向かって評価する人間もいます。

お客様ならまだ受け止められる

そうではないので、とても失礼だと感じた事もあります。

一生懸命それと向き合い、勇気を持って生きている者に対して軽々しく評価など下すな!

と言いたい。

貴方はどんだけ偉い人間なの?

と思いました。

それからこれからは、年齢が気になってきます。

これは気にしだしたら、もう止まってしまいます。

やりたい事は生きてる内に、全部やればいいのだろう?と思います。

でも、やっぱり

見切りを着けて、賢く生きたいとも思うんです。

見切りを着ける、これも諦めとは違って

人生をより豊かに生きる為に

必要な事のように思います。

この歳になっても

この歳になっても

勉強のやり直しをし

挑戦をしてる。

勇気を振り絞って。

なんのために?

魂を磨いて向上させまた生まれ変わる為に

人間は何度も何度も生まれ変わって魂のレベルを上げて

神様へ近づき

最終的には

神様になるそうです。

Andrò meglio prossima volta? 

Se non ho talento? 

Se la mia strada ho sbagliato? 

Andrò meglio prossima volta? 

Non ci credo. 

Cos’è? 

Cos’è? 

Perché non potrei cantare così tanto? 

Ancora bisogno di fare?

Vorrei finirlo?

Perché non sono molto felice. 

Molto triste. 

オーディション結果のご報告

残念賞でした。

歌い終わって直ぐに自分で結果がわかりました。

でも一応確かめましたが、やっぱり残念な結果です。

昨日楽しみすぎちゃったかな?

あれかな?これかな?

思うようには、全く、

またこれ珍しく全く歌えなかったのでした。

こんなに歌えない日もあるのかなあ?

不思議なくらいに歌えない。

年末にも歌った歌。

何回も練習と本番にかけてきた歌。

もう歌えると思った。

精神的なものかな?

最後のEs

苦手だったあの音は、めっちゃくちゃ綺麗に、美しく、余裕のあるEsでした。

なんだろう?

精神的なもの?

また来年受けてみよう。

そのオーディションに慣れる、て言うのも必要な気もします。

何処かでお昼ご飯食べて帰ろう。

神戸へ。

急にレッスンが無くなってしまった人にはすみませんでした。

また振替レッスンさせてくださいね。

いい報告できずすみませんでした。

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