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時代のテクノロジーについていく

In realta questo libro … 実はこの本…

 

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スピーカーマーク🔊 付いておりまして、著者のマッテオさんが、声を吹き込んでくれていて

 

イタリア語で黙読するにはとても時間がかかり進まないので、スピーカー 🔊 で聞くことにしました

 

本の表紙には、「ダウンロードはこちらから」と書いてくれてますが

 

これまたスムーズにいかない、何が違うのかわからないけれども、何度かやり直して、誘導されるままにやってみたところ

 

最終的には出来たのだけど、必死、必死

 

面倒くさがらないこと、よく説明書を読むこと、直感だけに頼って思い込まないこと

 

説明書をよく読み、早とちりしなければ、さっさとお得で便利なことは今の世の中多いのです

今日は雨

今日は雨、真っ直ぐ降ってます。よく降ってます

 

三宮の生徒さんのご希望で今日はお休みです

 

私も朝起きて今日は大丈夫かしら?と心配していたらご連絡ありまして、私も賛成しまして足下が悪過ぎて大事を取る事にしました

 

警報は出ていませんが、土砂災害警戒区域のところでは、携帯電話が鳴り響いております

 

なのでこの様な日はお家に居れる人はお家に居ましょう

 

私も今日は雨の中の緑の木々を愛でながらこれを書いております

 

美しい

 

自由にのびのびと生きよう

 

もし来年死にます、と決まっていたら、何をしますか

 

私は歌の事かな

 

歌うと言う行為は、身体がないと奏でられないから

 

意識体だけになってしまったら、奏でられないから

 

心豊かに生きていく

歌を習って行く中で、外国語はどうしてもついてきます

 

私もイタリア語を習ったりしましたが、まあ、なかなか話せるようにはなりません

 

ですが、常にイタリア語には馴染む癖を付けてあります

 

例えば、NHKラジオ講座 を聞く事は毎日の日課とし、今は本を読んでいます

 

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中身はこんな感じです

 

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日本語訳が横に付いているので、それを見て読んでいますが

 

辞書で引きながら、音読したり、色々とやってみています

 

著者は、イタリア語ラジオ講座の講師をされてる方でした

 

本を書く、て、この様な感じで出版出来るのだなと参考になりました

 

いつかは私もなにかは出版してみたいなと思いました

 

前みたいにオファーが来たらいいなと思います

 

空想ごっこは楽しいね

 

私の生徒さんの何方かは、イタリア語講座に参加してるみたいです

 

もう一人の何方かは、テレビのNHKラジオ講座を見るのを楽しみにしています、と言っておられました

 

嬉しいなと思います

 

そのようにして歌の愛好家さんになって行きます

 

私は最近、英語やドイツ語にも親しんでいます

 

ドイツ語で最近覚えた単語は Geshenke auspacken プレゼントを開ける

 

mädchen 女の子、bulume 花、opa おじいちゃん、oma おばあちゃん、schlafen

眠る、bagger ショベルカー、笑笑

 

なんでbagger ショベルカーよ、と思われそう

 

今先生が4歳児のjunge(男の子)なものだから😁

 

他は、lila 紫 リラの花と言いますね、ライラックですね

 

外国語が好きです

 

音楽が外国なので、ヨーロッパが好きです、そう言えば、音楽の関係ない時からヨーロッパが好きでした

 

街並みが綺麗だしね

 

ですが、暮らすには日本が素晴らしいそうですよ

 

私はそんなに長くイタリアには暮らして居ないので分かりませんが、ヨーロッパの人達がみんなそう言うので、話で聞く限りでは、そうなんだなと思います

 

私は今、生き方に付いて、とても考えています

 

私はこれまでも自由に生きて来ましたので、これからもそのようにしか生きられないのだと実感したところです

 

ならどうする?

 

と考えると、とてもワクワクするのです

 

生活そのものに派手さは全くないけれども、素朴に心豊かに生きて来ました

 

一時期、本の一時、華やかでキラキラしてた時もありました

 

それらもこのブログに収めてありますが、それはそれです

 

今は今を一生懸命に生きています、少々踏んだり蹴ったりですが🙃

 

それでもやっぱり幸せと思います😊

 

どうなっても幸せ

 

そして、私が人に与えられるものは、音楽を通じての何か

 

それしかないとようやく実感するようになりましたが、たとえ、何かで音楽をみんなで奏でられなくなったとしても

 

私の中には音楽があるので、生活のスタイルが変わったとしても、何らかの形で心豊かに、自分を表現していくのだと思います

 

音楽がなくなったら自分ではなくなるのか?と言ったら、そうではないと思います

 

ですが、今は音楽が身近にありますし、音楽とは自然に一緒にいます

 

音楽は心の中でいつも一緒に暮らしている、消えて失くなるものでもないと思うので

 

一生心豊かに生きられると思っています

 

音楽で培った魂と言うのがあるので、明るく生きられます

 

日本の人というのは、有名な人が偉い人、実力のある人、と思いがちだとヨーロッパの人から聞いた事がありますが

 

世の中の方々、実際どうなのでしょうか?

 

私は、自分に合ったきちんとした歌い方を教えて下さる先生を長いこと求めていた時期がありました

 

そしてきちんと出会ったのですが、初めは全くどういう肩書なのかとか、なんにも分かりませんでした

 

調べもしなかったです、ただその先生のレッスンの公開レッスンがされていたので、聴講に行きまして、暫くしたら神戸でレッスン生を募集しているという情報もあって、そうこうしているうちに、直接関係者から、連絡あって

 

嫌でなかったのでなんとなく行ってみましたらば、なんとなく次も、その次も行くこととなって

 

知る人ぞ知るプロムジカの社長であったことは、だいぶ後でわかったことで

 

歌手は先生が40歳の時にイタリアから帰ってきて引退しておられましたし、有名な歌手に習ったとか、そういうことでもありませんでしたが

 

その先生のメソッドが、今の私の全てとなりました

 

私は、先生が亡くなった後も、他の先生を幾人か転々としましたが

 

もう既に基本はしっかり教えてもらっていたので、後は元々自分の持っていた何かが、どんどんと目覚めていったような、勘が冴え渡るような感覚で、自由自在に声を操っていきました

 

ディミヌエンドもPPPも、全て、ただ喉を開けているだけで、寝ながらでも、座って腰を曲げていても出ます

 

表現に関しては、イタリア語が少しなじみがある事と、若い時に、オペラの舞台の経験が、結構研修も含めると長く多くありましたことと

 

表現することも、やはりこれも、自分の中に何故か元々持っていたものがありました

 

自分の中にあるものを信じています

 

芝居の基本はしっかり習っていましたし、いい勉強をしていたと思うので

 

オペラアリアを歌うにも無駄な芝居はしませんし、何よりイタリア語なら心に言葉が近いので、表現はきちんと教えられます

 

声にコントラストも付けられますし、歌全般の基本はしっかり押さえています

 

ただ私も、私を知ってくれている方は知ってくれていますが、有名になるような活動をこれまたなぜかしてこなかったので

 

信頼を多くの人に認知してもらうには時間がかかるなと思います

 

何かでご縁のある方とは、結びつくと思いますので、私は私の生活をしながら、ゆったりと構えていようと思います

 

物を売っているのとは違いますし、教えさせてください、というのともちがいますしね

 

私もその価値のわかる人に委ねたいとも思いますので、そう言う意味での安売りはしたくないのです、金額のことではなく

 

それで、生きる糧はどうする?ということですが

 

それに向かって行く過程を今、ワクワクしながら進めています

 

教える先生がぎすぎすしているのも好まないので、楽しく生きれるように工夫を凝らしています

 

心豊かに生きています

 

ご年配の方のレッスン

ご年配の方々のレッスンはどうしているかというと

 

実は同じ

 

ですが、無理をさをさせないようにとは思っています

 

やれるところまで、やれることをさせてもらってます

 

中には一緒にコンサートを聴きに行ったり、公開レッスンの聴講に一緒に参加したり、私がレッスンを受けるのを聴講してもらった事もありました

 

私はもう50歳になった、て言ったら、「まあ、いつの間にか大きくなっちゃって」笑笑

 

余りにも若いうちからやってたんだな、て思います

 

本当の愛好家さんなんだと思います

 

どうぞ長く楽しめますように、私もサポートさせて頂きます

歌うという事をどんな認識でいますか?

ピアノや、ヴァイオリンは、練習する必要が目に見えて分かるけど、歌はどんな認識ですか?

 

何かの合間にちょちょっと練習すればいいや、そんな感覚なのでしょうか?

 

ちょちょっとできますか?

 

私は皆さんの歌の伴奏の練習をしなくてはならないと思っても、いまいちできません

 

時間があってもできません

 

エネルギーの注ぎ方が、歌ほど溢れない、集中力も歌ほどには無い

 

歌の練習の続きでピアノも練習したらいいのに、と自分で思うけど、歌の練習にエネルギーを使ってるようで

 

その続きで、とはいかない、切り替えがなんとなく上手くできません

 

ピアノやヴァイオリンは、何時間も練習をしないと弾けないことは明らかですが

 

歌は、譜面だけ取り敢えず読めるように、音程だけあってるようにしておこう、そういう認識でしょうか?

 

歌こそ自分の身体をコントロールして音程を作り、響きを作り、息も長ければ長いほど良いとされますが

 

そこをどう考えてますか?

 

時間は作ったとしても環境がないと言う、それは私はどう言っていいかわかりません

 

私に環境が無かった時、朝早朝なら、500円で貸してもらえるスタジオへ通って練習していた時もありました

 

7月から私の生活は家では練習ができなくなりそうなので、またそう言う生活になりそうです

 

お金がとにかく、細々かかるなと思います

 

でもそうやって培ったノウハウを守るしかないなと思います

 

どうなるやらです

 

歌は歌うように作られた筋肉で歌うので、とにかく毎日トレーニングをしないと声は保てません

 

レッスンで歌うくらいの声は、何とかして保とうと思います

 

それから、声と向き合うことをしてください

 

どうしたら良い響きとなるのか

 

楽譜を読むのが練習ではない、それは歌うための準備をしているだけであって、歌の本当の練習ではない

 

歌の練習というのは、声の質についていつも研究する事、それには、本当に声を出さないと、判らないと思います

 

あなたが本当にしたい事はなんですか?

 

一番エネルギーを注ぎたいことはなんですか?又は、注がねばならないことはなんですか?

 

歌の優先順位が二番、三番なのだな、と、感じてしまった日には、結構ガッカリ

 

歌を一番に、何を差し置いても一番に愛してくれる人と、コミュニティーを作りたいのだが

 

二番、三番なら、私は・・・・・と思います

 

あれもこれもしたい、それもその方の人生や、価値観です

 

自由に考えてください

 

今や学歴云々の時代ではないので、音楽大学を出てなくても、音楽家になる人は増えると思いますので、私の意志も、述べておきます

 

ここは、本当に歌えるようになりたい人の為の場であって、ただのお遊びの場ではありません

 

鼻からも口からも吸ってはいない

歌うためのブレスは、息を吸う、というよりは

 

息を身体に取り入れてる、という感覚

 

鼻からも吸ってない、口からも吸ってない

 

フレーズを歌う前で大抵、息をいれますが

 

母音がOなら、口元も軌道もOの形で息を入れます

 

母音がIなら口元も軌道もIの形で息を取り入れます

 

口からも、鼻からも吸っていない

 

吸うという概念ではない

 

横隔膜が下がれば勝手に空気が流れてくる

 

少なくとも、鼻から吸い上げてはいない

 

口から乾いた外気を喉を通さない

 

何も吸ってはいない

 

空気が流れてくる、勝手にある、身体の中に自然にある、そういう状態

 

吸う、て、全然感覚的に合わない

 

全て言葉を変えて行こうと思います

 

吸っていたのでは、それでは目が回って気分が悪い事でしょう

 

吸ってない、吸い上げてはいない

 

横隔膜を下げたら、勝手に身体に流れ入ってくる

 

横隔膜を下げたら、もう息が身体の中にある

 

そういう感覚です

 

そして、声を出しながら、身体を太らせながら歌う

 

お腹周りは、しぼまない

 

歌いながら、身体は太らせている

 

というより、もう中の一点で支えているから

 

何も考えてない、中の一点が勝手に支えているから

 

歌いながら歩けるし、腰も曲げられるし

 

寝ながらでも歌える

 

それは、中の一点で支えているから

 

息を吸う、支える概念はもうない

 

息も吸ってないし、支えてもいない

 

そんな感覚ではない

 

勝手に息は入ってくるし、勝手に支えられている

 

歌うぞと思った瞬間に、もう息はある

 

いちいち吸って、ましてや吸い上げて、支えていたら

 

そういう感覚では、身体はガチガチだ

 

身体はくにゃくにゃでないといけない

 

そうでないと、芝居はできない

 

そうでないと、オペラはできない

 

誰に習った訳でもない、長く毎日毎日、ほぼお休みなく歌っているうちにそうなった

 

そう結論づいた

 

私の手法

今日も、朝からエネルギッシュにオペラアリアを教えておりました

 

地方からはるばる来てくださって、どうもありがとう

 

それで思います

 

私は教える事が嫌いなのではないと

 

今日の方は、若い!というのもありますが

 

音楽大学を出てまだそう年月は経っていないという事もあるので、やはり反応が早い

 

意識もそれなりにあるのだと思います

 

ですが息の使い方、吸うことさえもまだおぼつかない

 

何も教わってきていないと見ます

 

歌うに当たって、やはり日本人が一番始めにやらないといけない事は

 

喉を開けることでした

 

その見解は今日確信致しました

 

2小節でワンフレーズとなるフレーズ、長くても3小節を、プツプツ切って途中で息をしていましたが

 

レッスンの終わりには、切らずにワンフレーズを、ワンフレーズとして歌えていました

 

喉が開きだすと、一瞬にしてできるようになる事を

 

なんで4年大学行ってて普通に歌えないのか?

 

その子のせいではないことが明らかです

 

普通にこのようにレッスンをして、時を過ごして行こう

 

普通の当たり前のレッスンです

 

大切な事を順序立てて当然の如く教えます

 

教える方法を講師側は常に考えなくてはなりません

 

そしてただ、正しい事を伝えるだけでいいことです

 

喉が開けば一瞬で、息も長く続きます

 

一瞬で支えもできるようになる

 

一瞬でできる

 

後は歌うとなったら、いつでもそれができるようになるまで

 

研究心をもって練習するのみです

 

自分のものにするのです

 

私、講師は、知っておくべきです

 

日本人は特別喉を開ける方法を最初に教えなければならないことを

 

喉の開け方を教えられないと行けません

 

息と支えの話もしますし、勿論教えます

 

これぬきでは絶対、歌にはなりません

 

でも最終的には支えるという概念も失くなるほどに

 

どんな格好をしていても、内側の一点で支えられているので、腰を曲げていても、寝そべっていても、支えてる状態にまでなっていかないといけない

 

喉が開いて歌えなかったら、到底支えられません

 

喉が開いて声が軽いから支えられるのです

 

腹式呼吸と支え、口元のフオーム、発音の仕方云々より、先ずは喉を開ける事の重要性を重視した教え方を

 

喉がいかに開けられるかを重視して教えるべき、と、私の手法はそれとします

 

喉の開け方は2つの手法があります

 

高音の時、顎のちょうつがいが出るように動かすのが目安となりますが

 

大切なのは、下顎ではなく、上顎が上がる事を大前提とします

 

これはまたもう一度全員やり直さなくてはなりません

 

そして講師は喉の開いていない声と、開いている声を正しく聞き分ける耳を持たないといけない

 

特に低音から中間音にかけて、瞬時に開いているか開いてないかそれを正しく聞き分ける力をもっていないといけない

 

それから 自分で研究しない者は、絶対に歌えるようにはなりません

 

何故なら、身体を操縦するのはその本人だからです

 

本人にしか解らない加減があるからです

 

では趣味志向の方々はどうしましょう

 

環境がない、時間がないという事です

 

そうですね、としか言いようがない

 

趣味で習いに来る生徒に練習をしてきてください、とは言わないという先生は正しい

 

私もそうしてきました

 

でも、ある時から私はとても言うようになりました

 

ですが、やはり言うのは止めておきましょう

 

負担に感じては申し訳ない

 

そもそも大人の世界で言う必要はないのです

 

どうしても歌えるようになりたい人は、研究したい、練習したくなるはずで、環境もそれなりに自分で工夫して作り、やりたい人は、プロもアマチュアも関係なくそれをやります

 

プロ志向でもやらない人はやらない

 

ですが、プロ志向の人がもし練習もしてこない、研究心も持たない人は

 

私がもしプロデューサーなら使わない、舞台には立たせません

 

それだけの事です

 

趣味志向の方に心に負担はかけてはならない

 

雰囲気を楽しんでおられるのだから

 

講師側はそこをよくわかって心の内で割り切らなくてはならない、それで生計を立てるなら尚の事

 

 

なんだかんだ②

なんだかんだ言っても、自分も楽しんでたと思います

 

これからの事はもう、今は、想像つきません

 

一瞬一瞬を真剣に生きるだけです

 

なんだかんだ

なんだかんだ言ってもですね

 

ありがとうございます

 

私の所に来てくださって

 

もっともっと歌えるようにして差し上げたかったと思います

喉を開けよう

今年一年かけて、喉を開けるをマスターしてしまおう

 

なんにも言うことがなくなってしまった・・・・・

 

言ってもしょうがない

 

同業者の先生は、生徒に練習して来て、とは言わないと言ってた、そんなの趣味の人には無理なことだから・・・・・

 

環境も難しいよね

 

だから私もそうしてきたけど、それではやっぱりさ・・・・・

 

低音から高音まで、喉を開けられるようになりましょう

 

低音も、意外ともっと開けないといけないわ・・・・・

 

何を差し置いても、練習がしたくなる、環境をどうにかして作りたくなる、そう言う教え方をしたかったなと思う

 

習いっぱなしでは、やっぱりなあ、限界があるな

 

楽しむことの定義が違ってしまってる

 

まー、雰囲気を楽しむ、に届まることになってしまうのかな?どうしても

 

「喉を開ける」、だけを教えてあげてたら、趣味志向の人達も、もう少し、歌えた感を持てるかな?

 

日本人、て、とにかく、喉が閉まってるのやね

 

私も日本人だから・・・・・

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