今日はどうしたのかな?
お腹いっぱいになったので ねむーい。寝かせろー!と元気よく泣いて訴えてきます。m(。≧Д≦。)m
歌うママも最初は気にせずほっていましたが、段々激しいので、仕方なく抱っこしながら、歌う事に…。
とにかく歌う事に…。
ママさんこの方がお腹にも力が入るし、静かで集中できるとの事…。
この後赤ちゃん、ママの歌う胸の中でスヤスヤ。(-。-;)
結構激しい歌なのに、良く眠れるなあ。
子守唄がオペラとは…。
お知らせ
子守唄がオペラ
歌う者の心
歌う人の気持ちは、その本人にしかわからない。
だから、今度から、どんなにプレッシャーがかかって不安が襲ってきても、自分で乗り越えよう。
人から優しい励ましの言葉が欲しかったり、
自分の不安な気持ちを誰かにぶつけても、誰もわからないみたい。
だから、自分でその不安も全て受け止め、自分で乗り越えよう。
一つの本番が終わっても、欲しい人からの労いの言葉も、慰めも、なんにもない。
自分自身でも、あんなに頑張ったのに、本番直後に先ずは自分で自分にダメ出しして、頑張った自分を自分で慰めもしなければ、労いもしない。ダメ出しして、ダメだったところばっかり自分を責めて、悔やんで、考えてみたら、可哀想過ぎました。
結果はどうあれ、ほんとに頑張ったのは確かなのだから、それは自分だけがちゃんと知っているのだから、先ずは自分で自分にご苦労様を言って、頑張った自分を誉めてあげても良かったかも?
とにかく、歌う者の気持ちは、その本人にしか絶対に解らないもののようです。
消えました
せっかく一生懸命書いたブログを消してしまいました。
もう同じのはかけません。
ゴミ箱こら拾えないのかな?
どうしたらいいのかな?
心のある歌
私の良いところは、心のある歌が歌えるところ。
と、あるコンクールに出た時に審査員の先生から、言われた事があるんです。
綺麗に上手に歌う人はやまほどいる。
でも、あなたは、何か心のある歌を歌う事ができる、他の人にはない特別なものをお持ちのようです。
と、批評に書かれてありました。
実はそのコンクールでは、グランプリ、1位、2位、なしの3位だったんです。
1番になりたかったのに、なれなくて残念だったけれど、その批評は歌手人生を生きてる限り、一生私を支えてくれます。
技術は絶対磨かなくてはなりません。
技術なしに、自分の伝えたい心は絶対に伝わりません。
なので、技術を磨く事はとても大切です。
血がにじむほどの思いで、技術を磨く努力はしなくてはなりません。
それを怠ってはいけません。
そして、最後、どうしてもプレッシャーでつぶれそうになった時には、その審査員の言葉を思い出して、勇気を持って本番に向かうしかありません。
技術なしに、本当の心の歌は歌えません。
特別な自分になるための、何者でもない自分。
最近、自分は何者だろう?て、思っていました。
だけど、今はそんな事考える必要がないのだと思いました。
自分は何者だろう?
でも私は、本当の特別な自分になる為に、
真剣に勉強を積み重ね、自分を磨いています。
なので、今、人からの評価は関係ないと思いました。
人が今の私をどう思おうが関係ないのです。
社会の中での私の今の位置付け等、全然どうでも良い事。
ですから、自分で、自分が何者なのかも、今、はっきりさせる必要はないと思います。
段々とはっきりしてくるのだと思います。
本当になりたいものになるのだと思います。
これからが本当の人生を歩むのだろうなあと思います。
小さな幸せ、小さな喜び、また苦悩は、ある程度生きてこないと、味わい尽くせない。
これから私は、小さな喜びであっても、多分、自分は多くに恵まれ幸せである事を味わい尽くすと思います。
私の願い
私の願いは、ここへたどり着く事。
歌に没頭できる環境へたどり着く事。
神聖な場所にたどり着くこと。
最近、やたらと何かにつけ心が揺さぶられるように感じるのは、合図がきてる証拠。
早く次のステージへ移りなさい…と。
だから、だるくてしょうがない。
疲れてしょうがない。
焦らずゆっくり進めましょう。
確実に。
夢のまた夢
ここへたどり着けたらいいなあ、て良く思う。
ずっと小さい子どもの頃から、綺麗な物、綺麗な音への憧れ。
静寂さとか、神聖なもの
に触れて育ってきたと思う。
ガチャガチャ、がさがさした気の中では、育ってないような気がする。
サワサワ、ワシャワシャ、ワサワサも違う。
ピンと透き通った気。
そのものが発している、柔らかい波動、優しい波動。
透き通った音。
だから、何処に居ても疲れちゃうなあ。
これは違うなあ。
なんか違うなあ、て言う感覚を大切にし、その感覚を無視するのではなく、向き合いたい。
向き合って、現実とどう折り合いをつけるのか、考えたい。
折り合いなんてつけられるものなのか?
妥協なんてできるのかな?
割り切る、て、できるのかな?