お知らせ

久しぶりに戯れてみたら

こんにちは

 

幸せで仕方ありません

 

この二週間程、新しい環境での仕事で、酷く疲れ気味だったので、歌わないでおりましたが

 

仕事の帰り道、あるお家から、素敵なバイオリンの音色が聞こえてきましたので、私も歌ってみようと思って、

 

家にたどり着いて、休みもせず、荷物を下ろしたら直ぐにレッスン室へ飛び込みました

 

軽く発声練習をして、quanndo me’n vo  ,  una voce poco fa  ,  promessa  を各数回ずつサラッと歌いました

 

生活の糧となる仕事でも、毎日美しく、綺麗な物で、本物を取り扱っています

 

それから、職場のオーナーの方も、とっても素敵な方です

 

ついこないだまでの人間模様や、生活の全般が、噓のよう、何んだったのかと思います

 

帰り道に聞こえたバイオリンの音も、綺麗な音だなとおもいました

 

何方かの練習のようでしたが、きれいな音でした

 

そして、自分も帰ってきて歌ってみたら、軽やかな声でした

 

CeもDeも、EsもEも、 自分で申し分なく出ていました

 

正しい息の道に載って出る声には棘はないはず

 

そう言えば、最近自分の行く所、行く道は、どこも空気が澄んでいるように感じます

 

乗る電車も、乗るバスも、職場もそれはそれはもう、きちんと波動の整った場所のように感じます

 

歌うには、歌うようの生活の仕方があるような気がします

 

現役の歌手なら、なおの事

 

美しく生活をして、心が穏やかで落ち着いていることは、環境にも左右されると思います

 

喧噪のなか、歌ってられないなと思います

 

ですが、チケットノルマを持ちながら、生活を抱えて生きる日本の音楽家さん達は、シャカリキに、一生懸命にはやってます

 

私もそうでしたが、何か違うなあ、と思いながらも、考えないようにしながらやっておりました

 

自分一人でお客様を集めるため、色んな仕事をしながら自分も歌う、聴いてくれる人がいないと歌手は成立しませんものね

 

エネルギーがどれ程いっただろう?

 

これからは、自分一人で楽しもうかな?なんて思います

 

澄んだ軽やかな声を保ちたいと思います

 

自己満足も、楽しくていいな、と思います

 

声楽家にとって、声を失くすことが、一番悲しいことなので

 

本物の本番が無いのなら、それが一番、声を保てる気がします

 

何故なら、本当のヨーロッパの歌手達は、たった一音に、どれだけ命をかけているかを思うと・・・・・

 

もうこれ以上は語らないでおきます

 

とにかく今は、ほっと一息ついている、忙しく過ごしてはいますがようやく、心が休まりつつある気がします

 

自分で構築したものを、自分で一旦壊して、またどんな風に生きようかな、と、毎日思います

 

これで本当にいいのだろうかと、自分に問いながら・・・・・

 

今までの全ての人、全ての事に、毎朝感謝を唱えながら目覚める朝を迎えています

 

 

心の中の大きな気付き

皆さんこんにちは。お元気ですか、ご機嫌如何でしょうか

 

私はとてもとても元気にしておりまして、気分もめちゃくちゃいいです

 

と申しますのも、やっと心底解った事がございまして、仮に気分の悪い事が起きた時、愚痴ってもしょうがないという事です

 

「あの人がこんな事をしたのよ、おかげで凄く私は不快な気分になったわ」と、とうとうと述べても

 

目の前で繰り広げられている全てのことは、良いことも、悪い事も、全て自分が創造した創造物なので、人に言っても仕方がない、という事です

 

例え不快なものだったとしても、自分がそれを出してるものだから、『あらら、変なもの出しちゃった、早くひっこめなくちゃ』くらいに思った方がいいということ

 

不快なものを見てしまったら、『わたし何出してるの?笑える—-』て言ってみようと思います

 

素敵なものしか見たくないと思うなら、素敵な楽しいことだけを、常に空想していれば、やがてその空想は現実となって創造されるでしょう

 

一月二月と、前の私の創造物が具現化されてしまって、今思うとほんと面白いお笑い劇場を見たような気がします

 

全ての登場人物は、全部私でした

 

私の内側にあったものを全部見た、そう言う感覚がします

 

だとしたら、相当レベルが低くて笑っちゃう

 

でもそんな自分も卒業したと思います

 

変な思い出は忘れましょう

 

ついニ、三日前、タクシーに乗ったら、へんてこりんな運転手さんで、うっとうしかったです

 

それも私なのかと思うと、かなり笑えます

 

もしも本当にそれも私なら、人から鬱陶しがられる危険 ‟ 大 “なので、気を付けようと思いました

 

そして今、こうでありたい、と前々から願っていた風景が、毎日繰り広げられ、毎日が幸せです

 

これに関しましては、多くの人に、感謝しなくてはなりません

 

人は神と言います

 

神さまには、普通感謝するでしょう

 

感謝しましょう

 

朝目覚める時、『今日もありがとうございます』とか言って起きると、気持ちよく起きることができます

 

そこにあまり意味とかを考える必要はなく、漠然としていてもいいのです

 

それでは皆さん、良い休日を Buona Vcanza  ciao

 

 

 

発声法は特別な事はなく

発声法を求めて先生を探し回る、発声法難民に陥った事ありませんか?

 

ですが、本当の発声法は本当にシンプルなものです

 

息が正しく吸えて、喉が開けばいいのだけど・・・・・

 

ただそれが普段日本語で話している限り、曲の中で音階の上から下まで全ての音を喉を開けて歌う事は、なかなか自分で気が付く事が出来ず難しく感じさせますね

 

喉の開け方についても、聞いたら、え? ただそれだけ⁈ と、拍子抜けすると思います

 

後、ソプラノにとって低音の鳴らし方、これも教わらない事が多いようです

 

これもなんて事なく、そう仕組みを知って、そう意識するかしないかだけです

 

ただ、習慣化するまで、無意識に身体が正しく動いてくれるまで、オートマティックに

 

そうなるまでには、かなりの年月がかかります

 

イタリア物を歌うというのは、本当に日本人の気質に合ったものかどうかは定かではないけれども

 

日本人にも歌える歌はありますし、日本人も、日本人である自分の声の鳴る仕組みの特徴をよく知って歌えば、それに合った練習方法があります

 

海外に行けば上手くなるのかと言えば、そうではない、日本語を言語にしているからこそ、引っかかってしまう部分もあります

 

海外へ行くのなら最低限の基本が出来て、海外へ行った方がよさそうです

 

ヨーロッパ人達が、当たり前に出来ている事を、どうして日本人はできないのか、彼らは知らない

 

日本人だから難しく感じていることは、日本人でないと、何故それが難しく感じるのか、共感できないこともあります

 

そして実はそれは、イタリア人にも逆に教えてあげたいと思うような気がするぐらい、イタリア人歌手も、上手く行っていない歌手は、たくさんいると思います

 

たった一言で、世界がガラッと変わる、そういうこともありますね

 

喉の開け方

喉の開け方を教えてもらったこと何処かでありますか?

 

一言で言えるのですが、この感覚が、分かる人、分からない人、あります

 

ほぼ正しい呼吸ができる人は、喉は開きやすいですが、もう一つ方法があります

 

それは企業秘密なので、知りたい方は習いに来てもらわないとここでは説明できません

 

というより、文字だけで説明するには限界がありますものね

 

 

 

専門性のあるレッスンも・・・・・

パソコンに親しむために、パソコンを開いても、書くことが思いつきません

 

今までスマホでは散々書いてきましたのに・・・・・

 

お一人専門性を伸ばして行きたいレッスン生がおられますので、プロの伴奏者さんを用意してのレッスンにしようと思っています

 

そのようなレッスンも、これから増えて行くような予感がします

 

 

私の習った先生が本物だったので

本物を見極める力とはどうやってつけましょうか?

 

感受性の鋭さなのですが

 

私はなんといっても、私に歌を教えてくれた先生が本物でした

 

それから、私自身、自分で研究も熱心にしておりました

 

有名になる人は、勿論本物だからと言う人もおられますが、有名になるのが上手な人もいます

 

また、自分で歌うのは上手だけれども、教えるとなると、また別だと言う事もあります

 

教える上での本物を見つける事は、大抵隠れていたりしますね

 

目立ってないから見つけにくい

 

私もこんな風にホームページを出したりしておりますが、本当の事を言ったら、そう簡単に見つかりたくないな、と、技術を磨けば磨く程に思うようになっていました

 

歌の本質的な事を考えると、そう思いました

 

これからは、本当にご縁ある方に、一人一人運命的な出会いでありたいと思います

 

そうであるために、生き方を変えました

 

もうそれはそれは、悩んだことでしたし、多大な勇気を必要としました

 

それに、魂が叫んだようにも思いました

 

これからは、教室内で、例え生徒が一人になっても、その人が純粋に歌を大切に思ってくれているなら、きちんとその一人の方に、本当の歌い方を惜しみなく伝授しようと思います

 

本当の愛好家さんになって頂けますように

 

なので、生徒さんにおべっかを使うつもりはありません

 

ですが、どんな場合も思いやりは必要ですね、一生懸命に励ますと思いますよ

 

それに楽しく遊びながら身につけてもらいたです

 

なので、練習もしてもらいたいと思います

 

高音を、バリっと張りのある声で、歌えるようになって下さい

 

自然に息が吸えるようになって下さい

 

強弱が付けられるようになってください

 

プロだのアマチュアなど言わず、みんな私のところで、チケット代がもらえるほどまでになっていってください

 

私は始めからそれをずっと願っています

 

私の教えるという業は、そうできるものですので、時間をかけて根気よく取り組んでください

 

私のところから、世界へ羽ばたいてください

 

そうできる技術を伝授しています

 

 

 

 

幸福感を大切に

 

私は、歌う事は大好きです。はっきり言って、死ぬまで音楽への情熱や思いが冷める事は無いでしょう

 

只、幸せ感を求める上では話は変わってきます

 

身体の状態はどうでしょうか?声帯の状態はどうでしょう?

 

今一度確認が必要です

 

舞台人ならば、自分の身体の状態を歌手としての商品として見ますので

 

特に声帯の状態を気にします

 

日本のクラッシック音楽界の事情にも追いていかなくてはなりませんし

 

経済状態もしっかりしていないと、ステージには立てません

 

そう考えた時、自分はそれでも歌っていて幸せだろうか?

 

チケットを売れなくても、自分がお金を払ってでもステージに立ちたい人はいます

 

ステージに立つのが幸せであれば、例え喉の状態がボロボロでもステージに立ちたい人はいます

 

さて、私はどうかなと考えた時、私の幸せ感は、何処にあるかな?と思いますので

 

今後の活動については、その時の自分の思いに従います

 

只、一つ言える事は、音楽に対しての思いの深さは、人並み外れていると思います

 

自分で商品として使えると思うのであれば、私は、誇り高く気品を持った歌手を一生やりたい事でしょう

 

そしてもし、歌手をしなかったとしても、また私の声がボロボロに朽ちたとしても、歌と向き合っている時間は情熱が冷めるという事はありません

 

冷める時というのは、生徒さん側の態度によります

 

一旦音楽が鳴りだしたら、何らかのアクシデントで私が声を鳴らす事が出来なかったとしても、、体と感情は勝手に反応するようになっています

 

それは、この世に誕生する前からそう決めてきていることなのだと思っています

 

私が培った歌の技術は、自分の声が使えなくなったとしても、私の内側から人に提供できる唯一のものです

 

詰まり、歌う方法をおしえることはできますよ、ということです

 

私が舞台に上がらないときには、それなりの理由がある時です

 

少し考えておりましたがいづれにしても冷めるという事はないなと思いました

 

そしてわたしは何よりも、自分の幸福感というものを大事に生きています

 

 

 

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呼吸をするように仕事をする

 

この二日間、何故だか夜中2時に目が覚めます

 

なので、Duolingo というアプリで英語のお勉強してみたり、ラジオ講座でイタリア語のお勉強をしてみたり、そして今このようにパソコンの練習をしてみたり、しています

 

ついでにチョコパイを2つも食べました。苺味…

 

さて、最近の私の生活は一変しまして、楽しくてしょうがないという状態です

 

 

やはり、この世は仮想現実だと最近よく耳にするのですが、現実は自分で創造している

 

現実はそう甘くないとおもえば、その通りの現実が作り出され

 

なんだこの世は甘々だ、なんでも思う通りに希望が叶うと思えば、その通りの現実が作り出される

 

目の前の現実は、自分で創造したものである、つまり仮想現実で、現実は在って無いような物

 

なので自分はどうありたいのかを、正直に具体的に空想しなくてはなりません

 

世間体や、年齢なんて一旦全て取り払って、本当の自分の理想を思い描いてみること、空想遊びをする事です

 

人生はそう言う風に創って行くのだと心底理解するまでには、結構時間が掛かってしまいました

 

それに、創造の仕方が分からなくて、思いが漠然としていたら、潜在意識に刻まれた思い込みのようなものが創造されて、変なものが出て来ます

 

先月の2月の出来事がそうでした

 

具体的にはここでは話せませんが、とにかく途中で気がついて、こういう事はとっくに私は卒業していて、こういう雰囲気は好まない、うんざり、はっきっり思ったら、パット画面が変わるように、一瞬で現実が変わりました

 

現実は全て自分の思う通りになるものなんですよ

 

好みの会社、好みの暮らし、喜び、幸せ、全て手に入る

 

実際に私が自分の希望を人に話した時、そんな何でもかんでも自分の思いの通りになんていかないよ、とその人は言いました

 

そうですね、希望を叶えるって難しいいですよね、と普通に対応していましたが

 

ここでは私の希望は叶わないし、私が放った言葉の通り、難しそうだと途中で気がついて、ある日今ここを辞めます、ありがとうございましたさようなら、と爽やかに引き上げたら、次の日には、理想通りの場が見つかったわけです

 

その人は、私にこう漏らしました「私も辞めたいんですよ」と

 

私は言いました、「辞めたらどうですか?」と

 

その人はもうこの年齢だから無理だと、言い張りました

 

結構励ましたのですが・・・・

 

本人が固く無理だと思い込んでいるのだから、無理よね

 

ずっと何十年もそんな風に耐えて生きてるのかしら?

 

ま、人生こんなもんか、という感じで生きてるのでしょうか?

 

だとしたら、つまらないね、もったいないね

 

私は音楽のことで、情熱的に生きて、人生が100年だとしたら、ほぼ半世紀は音楽で苦労もしたけど、悩みも多かったけれども、情熱的に駆け抜けた

 

燃え尽きるほどに情熱を傾けたし、信じるものもあった

 

でも、ある日、このフェーズは終わったと感じた瞬間がありました

 

理想から離れすぎた事をやっていると思いました

 

そこでちょうど世の中も変わってきたので、その流れに乗って、軌道修正

 

今度は、音楽との接し方も変えて、また音楽を今度は本当に楽しんでいきます

 

因みに環境は、外国語、英語や、ヨーロッパの言葉が飛び交うような環境、というのも、今現在叶っています

これも偶然叶っていましたが、そうしっかりそれを私は希望する、と天にオーダーを出したんだなとおもいます

無意識でしたが・・・・

願いを叶えるコツは、こうありたいな・・・・としっかり願うのだけれども、何がなんでもこうじゃないとダメ、と願うと、力が入り過ぎて、チャンスを逃すようです

しっかり願うけど、ふんわり思うという感じでしょうか?

必死こくとダメだなという経験がいっぱいあります

必死、て、必ず死ぬと書くので、よく考えたら怖いなと思います

お茶でも飲みながら、リラックスして、楽しく こうしたいなあ、と願う

これがコツ

仕事は、直接生きる事に繋がる大切な地球上でのアイテムなので、呼吸をするのと同じ様に、そこに当たり前に在って美味しく軽やかなものでないといけないと思います

息の詰まるような仕事なら、それは、自分に合っていないかもしれません

もし生活の中で、何か言ってやりたいとおもうほどに、嫌なことがあったら、それは、自分が間違って創造したものが単に現実に出てきただけだから、間違えたので、そのオーダーをキャンセルします!と、天に言ったらいいですよ、一瞬でその現象は消えます

そうしたら、その後、その場面も無くなります

それが職場なら職を転々とする必要もなくなると思います

根本的に違うと思う場所なら、速やかに去ればいいことです、できる限り美しく去る事が出来たらなおの事良いけれども、そうできなくても、それも良しとしましょう

今回、私事では、まあまあ美しく判断できたので、自分で満足しています

悪い事ばかりでも無かったので、感謝の念もきちんと述べて、その場を後にできたので、次に活かせていると思います

なにもかも、生活全般において、今の自分にちょうど良い事が、ちょうど良いタイミングで起こっていると思います

仕事をする事が趣味ならいいのだけれども、もしそうではなくて、仕事は仕事で、他に趣味は趣味できちんとあるとしたら、アフターファイブを楽しめるだけの余力を残せるぐらいの働き方が出来るといいなと私は思います

世の中は、働き方改革とか言ってますし

そうだったらいいな、くらいに思っておこう

呼吸をするようにあたりまえにかろやかに美味しく仕事ができますように

I’m happy / Sono felice / 幸せ

  最近毎日が楽しいです

朝を楽しみに起きています

 

 

ヘアスタイルのアレンジメントも最近は楽しんでいます

 

 

朝食や、ランチのサンドイッチ作り

 

朝のヨガ、洋服選び

 

 

何もかも

 

仕事は勿論の事

先月までの出来事が、不思議なくらい

何処のパラレルにいたのだろう?

毎日忙しいのに気分はゆったりとしています

歌う事も楽しいし

みなさんのレッスンをさせて頂く事も楽しみにしています

オペラ I puritani 清教徒より Qui la voce sua soave あなたの優しい声が を歌う

『ピューリタン』と言えば、16世紀から17世紀にかけて、イギリスに存在していた革命派

 

カトリックから分離し、当時の政治は貴族中心の政治だったところを庶民も政治に関わる事ができるようにした革命派と言う風に私は認識しています。

 

現在のイギリスの政治のスタイル『王は君臨するが統治せず』にしたのは、このピューリタンだと思います。

 

そんな時代背景の下にオペラの物語は、メロドラマで最後は珍しくハッピーエンドです

 

エルヴィーラと言う貴族の娘とアルトゥーロと言う王族に仕える騎士とまさに結婚式のその場で繰り広げられる出来事によって、エルヴィーラは狂乱してしまいます。

 

このQui la voce というアリアは、エルヴィーラが狂乱して歌うアリアです

 

何故狂乱してしまうのかをお話ししますと

 

アルトゥーロは結婚式に集まった人々の中に気高い夫人を見つけます。この女性こそ、先に清教徒軍により処刑されたチャールズ1世の王妃エンリケッタで、議会に招集され、お城に幽閉されていた元王妃。

王妃の身の危険を感じたアルトゥーロは、王党派の一員として王妃を逃そうと思い、エルヴィーラのヴェールを王妃に被せて脱出を図ります

 

それが突然に結婚式の最中に起こったので、何も知らされていないエルヴィーラは、アルトゥーロに裏切られたと思ったのでした。

 

それはそう思う事でしょう

 

なのでアリアの最初のメロディーは、完全に正気でない状態の中、裏切られた心中を切々と訴え歌います

 

ですから、楽譜上に書かれた下る半音階の連続するアジリタを、どう言う気持ちで、どう言う歌い方をするか、またどんな雰囲気の声がでてくるかは、想像がつくと思います

 

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オペラを歌う時には声色というのはほとんど使いません

 

むしろBELCANTOものの伝統的な歌い方というのがあって、声色は使ってはならないという決まりのようなものがありますから

 

やれる表現の範囲が狭まるのですが、ダメと言われないギリギリの歌い方があるとは思いますが・・・

 

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既に音の配列が、エルヴィーラの気持ちを表現した配列になっていますから、あまり考えすぎずにBELCANTOの発声で歌ったらよいと思います

 

只、心がエルヴィーラの心になっている事が肝心です

 

なので、ベルカント唱法は、オートマティックに出来ないと、心が完全にそれにはなりませんね

 

なので、ひたすら技術を磨かねばなりません

 

このアリアの後、場面も変わり、アルトゥーロはエンリケッタと逃亡しようとするのですが

 

その前に、エルヴィーラに一目会いたいと、エルヴィーラのもとへ帰って来ます

 

そして、事の成り行きを説明し、誤解が解けエルヴィーラは正気を取り戻すのですが

 

今度は政治が動きまして、アルトゥーロは逮捕され、清教徒たちによってアルトゥーロは処刑されそうになり、エルヴィーラも運命を共にすると誓いますが

 

死刑が執行されようとするその寸前、「ステュアート家が滅び共和国になった」と使者がまくし立て、アルトゥーロも赦免されます

 

二人は結ばれ祝福され、幕となります

 

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