お知らせ

遊んで遊んで遊んで遊びまくる、それが正解だ

4歳の日本のある男の子がママから、「大人になったら何になるの?」と聞かれました

 

「う~ん、わからないなあ、とにかく遊ぶ、遊んで遊んで遊んで遊びまくる」と言いました

 

ママは、「そうなんだ!いいね😊」と答えました

 

近年生まれてくる子供はちゃんと分かっているなと思いました

 

人間は、この地球に、このイルージョンに遊びに来ていると聞いた事があります

 

仕事でもなんでも、会社勤めであっても、自分のやりたい事をしたらいいのだと思います

 

会社勤めが好きな人はそれをとことんやりつくし、それに飽きたり、学びが終わったと感じるなら、また今度は全然別の事をすればいいと思います

 

趣味が仕事になる人もいるだろうし、それだって最初の立ち上げや、途中色んな困難に遭遇します

 

それは、ゲームをこなすようにクリアしていったら良いこと、クリアするまでの過程を楽しむのです

 

失敗してもパワーがあれば、そこからまたやり直す、パワーが無くなれば、また1に戻って最初からやり直す

 

テレビゲームと同じと聞きました

 

但し、ただのゲームだから、深刻にならない事

 

飽きたら別のゲームを、難し過ぎたなら、もっと易しいゲームから

 

そんな風に、遊んで遊んで遊んで遊びまくり、楽しむ事をしに人間は地球に来ているのだとのことです

 

私のこの仕事なんて、正に分かりやすい、いつも歌って遊んでる、ですが、私も楽しみたいので、バージョンを上げてます

 

そうすると、それが合う人、合わない人、、出てきますけど、このバージョンもいいね!と思ってもらえる方に、来てもらおうかなと思います

 

 

ご縁ある方に届く

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先日から、これを楽しく読んでいますが、大変は大変です

 

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ほとんど読めてないです 😥

 

ですが、イタリア語の先生の所で習った単語ばっかりです

 

覚えていない

 

覚えましょう

 

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前置き長いのですが

 

このブログ投稿も、時々とんでもない醜態を繰り広げていた時もありましたが

 

誰かにとっては何かがヒットすることもあるかもしれません

 

良いことを書いている時もあると思いますし、楽しい日常ばかりを載せている時もありますし、不平不満が続く時もあったと思います

 

そんな中でも、何かが誰かの心にマッチすることもあるかもしれない、私の知らないところで、良い投稿と巡り会って、誰かの心が和んでいたらいいなと思います

 

歌の事もたくさん載せています、私の知らないところで誰かを救っていたらいいなと思います

 

なるべくネガティブや、説教くさいことは控えるようにします

 

最近、少々説教くさいかしら?

 

私の願いは、せっかく私の所へ歌いに来てくれたので、うわべだけの楽しみではなく、本当の歌うことの楽しさを知ってほしいと思います

 

それには歌えるようにして差し上げなくてはなりません

 

一人で練習や研究がし易いような指導の仕方をいつも考えています

 

自分で力を付けていってほしいのです

 

私が与えられるのは、方法だけです

 

外国語の習得と同じように、先生の所で習ったら、それを自分で覚えるしか仕方がないのと同じ

 

覚えたら次にする事は、話す練習を自分でするのと同じことです

 

語学勉強とよく似てます

 

自分でやらないことには、何年習っても話せるようにはならない事と同じ

 

今年1年間で全員が歌えるように、何故なら、私のところでみんな長いからです

 

私はイタリア語習得を

 

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この本一冊覚えようかな、今年1年かけまして

 

決意せねばならぬ!

 

やらねばならぬ、というのは辛いので、これをやっていることが、楽しくて楽しくて仕方がないと思えたらいいですね

 

生きるための仕事は辞めて、こんなことばかりして遊んでいても0kな世の中ならいいですね

 

それから、最近私がこのブログをせっせと書く理由は、明後日、パソコンでのタイピングテストがあるので、練習を兼ねて毎日パソコンから投稿しております

 

ですがスマホの手軽さが好きですね、ここ何回かは、ノートパソコンとは言え、大きなパソコンを持ってお出かけしておりましたので

 

スマホなら、インスピレーションが降りて来た時にパッと書けますのに

 

パソコンは、パソコンの場所へ行かねばなりません、もしくは家の中の好きな場所でするには、そこへ運んでセッティングせねばなりません

 

ま、少し大きめのスマホを家の中で持ち歩いている😆そういうイメージです

 

とにもかくにも、せっかく書いているなら、なるべく素敵なメッセージが書けるように

 

エッセイを書いているつもりでこれからは投稿してみます

 

そう考えると、これも楽しい作業です

 

 

自主性を持ってこれからも歩みましょう

お元気ですか?神戸は昨日の雨が噓のように今日は快晴でした

 

日光浴をしにビーチへ行ってました

 

さてさて、これからいらっしゃる人も、これまで長く続けて下さった方も、これまでがどうであったかは関係なく

 

これからきっときっと良く歌えるようになると思います

 

これまでの方々は、今まで習った事を復習していきましょう

 

喉の開け方も、支え方も、息の吸い方も、横隔膜の神秘の話までも、母音を歌っていく話も、10年も私に習ってきているなら

 

全て、どこかのタイミングで話してあるはずなので、思い出してください

 

そして今年1年は復習のレッスンにして、1年で、気持ちよく普通に声が鳴るようにしましょう

 

みんな綺麗な声を持って私の所に来てくれていますし、やりたい事を本当に行うために、生活スタイルを変えた人もおられます

 

私自身も、声に支障が出るような生活の仕方はしていません

 

恐らくこれからもそうだと思います

 

なので習った事を、習いっぱなしにせず、自分で、自分の物になるように研究をしてください

 

私が与えられるのは、ヒントです

 

あとは自分の身体の事なので、微妙な調整は、自分でしかできませんから

 

そして全員が気持ちよく声が鳴るようになれば、今まで味わったことのない感動をお一人お一人が知る事となると思います

 

これから入会をお考えの方で、何か心に信じる可能性のような物をお持ちの方なら、歌の基本的なことは、恐らくそんなに難しい事ではありませんので、どうぞご興味がございましたら、一度体験してみてください

 

本当にこれがやりたいかどうかは、やってみないと分からない部分もあると思いますので

 

1年くらいはじっくりと、集中してコンスタントに取り組んでみてください

 

もしこれはご自分のやりたい事とは違ってた、と気づいたら、その時点で方向転換をすればよいことですし、そう言う意味ではお気楽にと思います

 

もし何を差し置いても歌在り来、歌1番に思ってもらえて、歌を愛してもらえるのなら、長く続けて下さったら幸いです

 

趣味だから、広く浅くでもいいのではないでしょうか?何になるというわけでもないし、と思われる方もおられると思いますが

 

私にとっては、歌は宝石と同じくらい大切にしてきた宝物の様なものなので、中途半端な思いや扱いにされると、残念な気持ちになります

 

是非、これがやりたいと思う方に、才能を眠らせたままにしたくないと思う方に、才能溢れる方に、ご提供しております

 

時代のテクノロジーについていく

In realta questo libro … 実はこの本…

 

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スピーカーマーク🔊 付いておりまして、著者のマッテオさんが、声を吹き込んでくれていて

 

イタリア語で黙読するにはとても時間がかかり進まないので、スピーカー 🔊 で聞くことにしました

 

本の表紙には、「ダウンロードはこちらから」と書いてくれてますが

 

これまたスムーズにいかない、何が違うのかわからないけれども、何度かやり直して、誘導されるままにやってみたところ

 

最終的には出来たのだけど、必死、必死

 

面倒くさがらないこと、よく説明書を読むこと、直感だけに頼って思い込まないこと

 

説明書をよく読み、早とちりしなければ、さっさとお得で便利なことは今の世の中多いのです

今日は雨

今日は雨、真っ直ぐ降ってます。よく降ってます

 

三宮の生徒さんのご希望で今日はお休みです

 

私も朝起きて今日は大丈夫かしら?と心配していたらご連絡ありまして、私も賛成しまして足下が悪過ぎて大事を取る事にしました

 

警報は出ていませんが、土砂災害警戒区域のところでは、携帯電話が鳴り響いております

 

なのでこの様な日はお家に居れる人はお家に居ましょう

 

私も今日は雨の中の緑の木々を愛でながらこれを書いております

 

美しい

 

自由にのびのびと生きよう

 

もし来年死にます、と決まっていたら、何をしますか

 

私は歌の事かな

 

歌うと言う行為は、身体がないと奏でられないから

 

意識体だけになってしまったら、奏でられないから

 

心豊かに生きていく

歌を習って行く中で、外国語はどうしてもついてきます

 

私もイタリア語を習ったりしましたが、まあ、なかなか話せるようにはなりません

 

ですが、常にイタリア語には馴染む癖を付けてあります

 

例えば、NHKラジオ講座 を聞く事は毎日の日課とし、今は本を読んでいます

 

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中身はこんな感じです

 

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日本語訳が横に付いているので、それを見て読んでいますが

 

辞書で引きながら、音読したり、色々とやってみています

 

著者は、イタリア語ラジオ講座の講師をされてる方でした

 

本を書く、て、この様な感じで出版出来るのだなと参考になりました

 

いつかは私もなにかは出版してみたいなと思いました

 

前みたいにオファーが来たらいいなと思います

 

空想ごっこは楽しいね

 

私の生徒さんの何方かは、イタリア語講座に参加してるみたいです

 

もう一人の何方かは、テレビのNHKラジオ講座を見るのを楽しみにしています、と言っておられました

 

嬉しいなと思います

 

そのようにして歌の愛好家さんになって行きます

 

私は最近、英語やドイツ語にも親しんでいます

 

ドイツ語で最近覚えた単語は Geshenke auspacken プレゼントを開ける

 

mädchen 女の子、bulume 花、opa おじいちゃん、oma おばあちゃん、schlafen

眠る、bagger ショベルカー、笑笑

 

なんでbagger ショベルカーよ、と思われそう

 

今先生が4歳児のjunge(男の子)なものだから😁

 

他は、lila 紫 リラの花と言いますね、ライラックですね

 

外国語が好きです

 

音楽が外国なので、ヨーロッパが好きです、そう言えば、音楽の関係ない時からヨーロッパが好きでした

 

街並みが綺麗だしね

 

ですが、暮らすには日本が素晴らしいそうですよ

 

私はそんなに長くイタリアには暮らして居ないので分かりませんが、ヨーロッパの人達がみんなそう言うので、話で聞く限りでは、そうなんだなと思います

 

私は今、生き方に付いて、とても考えています

 

私はこれまでも自由に生きて来ましたので、これからもそのようにしか生きられないのだと実感したところです

 

ならどうする?

 

と考えると、とてもワクワクするのです

 

生活そのものに派手さは全くないけれども、素朴に心豊かに生きて来ました

 

一時期、本の一時、華やかでキラキラしてた時もありました

 

それらもこのブログに収めてありますが、それはそれです

 

今は今を一生懸命に生きています、少々踏んだり蹴ったりですが🙃

 

それでもやっぱり幸せと思います😊

 

どうなっても幸せ

 

そして、私が人に与えられるものは、音楽を通じての何か

 

それしかないとようやく実感するようになりましたが、たとえ、何かで音楽をみんなで奏でられなくなったとしても

 

私の中には音楽があるので、生活のスタイルが変わったとしても、何らかの形で心豊かに、自分を表現していくのだと思います

 

音楽がなくなったら自分ではなくなるのか?と言ったら、そうではないと思います

 

ですが、今は音楽が身近にありますし、音楽とは自然に一緒にいます

 

音楽は心の中でいつも一緒に暮らしている、消えて失くなるものでもないと思うので

 

一生心豊かに生きられると思っています

 

音楽で培った魂と言うのがあるので、明るく生きられます

 

日本の人というのは、有名な人が偉い人、実力のある人、と思いがちだとヨーロッパの人から聞いた事がありますが

 

世の中の方々、実際どうなのでしょうか?

 

私は、自分に合ったきちんとした歌い方を教えて下さる先生を長いこと求めていた時期がありました

 

そしてきちんと出会ったのですが、初めは全くどういう肩書なのかとか、なんにも分かりませんでした

 

調べもしなかったです、ただその先生のレッスンの公開レッスンがされていたので、聴講に行きまして、暫くしたら神戸でレッスン生を募集しているという情報もあって、そうこうしているうちに、直接関係者から、連絡あって

 

嫌でなかったのでなんとなく行ってみましたらば、なんとなく次も、その次も行くこととなって

 

知る人ぞ知るプロムジカの社長であったことは、だいぶ後でわかったことで

 

歌手は先生が40歳の時にイタリアから帰ってきて引退しておられましたし、有名な歌手に習ったとか、そういうことでもありませんでしたが

 

その先生のメソッドが、今の私の全てとなりました

 

私は、先生が亡くなった後も、他の先生を幾人か転々としましたが

 

もう既に基本はしっかり教えてもらっていたので、後は元々自分の持っていた何かが、どんどんと目覚めていったような、勘が冴え渡るような感覚で、自由自在に声を操っていきました

 

ディミヌエンドもPPPも、全て、ただ喉を開けているだけで、寝ながらでも、座って腰を曲げていても出ます

 

表現に関しては、イタリア語が少しなじみがある事と、若い時に、オペラの舞台の経験が、結構研修も含めると長く多くありましたことと

 

表現することも、やはりこれも、自分の中に何故か元々持っていたものがありました

 

自分の中にあるものを信じています

 

芝居の基本はしっかり習っていましたし、いい勉強をしていたと思うので

 

オペラアリアを歌うにも無駄な芝居はしませんし、何よりイタリア語なら心に言葉が近いので、表現はきちんと教えられます

 

声にコントラストも付けられますし、歌全般の基本はしっかり押さえています

 

ただ私も、私を知ってくれている方は知ってくれていますが、有名になるような活動をこれまたなぜかしてこなかったので

 

信頼を多くの人に認知してもらうには時間がかかるなと思います

 

何かでご縁のある方とは、結びつくと思いますので、私は私の生活をしながら、ゆったりと構えていようと思います

 

物を売っているのとは違いますし、教えさせてください、というのともちがいますしね

 

私もその価値のわかる人に委ねたいとも思いますので、そう言う意味での安売りはしたくないのです、金額のことではなく

 

それで、生きる糧はどうする?ということですが

 

それに向かって行く過程を今、ワクワクしながら進めています

 

教える先生がぎすぎすしているのも好まないので、楽しく生きれるように工夫を凝らしています

 

心豊かに生きています

 

ご年配の方のレッスン

ご年配の方々のレッスンはどうしているかというと

 

実は同じ

 

ですが、無理をさをさせないようにとは思っています

 

やれるところまで、やれることをさせてもらってます

 

中には一緒にコンサートを聴きに行ったり、公開レッスンの聴講に一緒に参加したり、私がレッスンを受けるのを聴講してもらった事もありました

 

私はもう50歳になった、て言ったら、「まあ、いつの間にか大きくなっちゃって」笑笑

 

余りにも若いうちからやってたんだな、て思います

 

本当の愛好家さんなんだと思います

 

どうぞ長く楽しめますように、私もサポートさせて頂きます

歌うという事をどんな認識でいますか?

ピアノや、ヴァイオリンは、練習する必要が目に見えて分かるけど、歌はどんな認識ですか?

 

何かの合間にちょちょっと練習すればいいや、そんな感覚なのでしょうか?

 

ちょちょっとできますか?

 

私は皆さんの歌の伴奏の練習をしなくてはならないと思っても、いまいちできません

 

時間があってもできません

 

エネルギーの注ぎ方が、歌ほど溢れない、集中力も歌ほどには無い

 

歌の練習の続きでピアノも練習したらいいのに、と自分で思うけど、歌の練習にエネルギーを使ってるようで

 

その続きで、とはいかない、切り替えがなんとなく上手くできません

 

ピアノやヴァイオリンは、何時間も練習をしないと弾けないことは明らかですが

 

歌は、譜面だけ取り敢えず読めるように、音程だけあってるようにしておこう、そういう認識でしょうか?

 

歌こそ自分の身体をコントロールして音程を作り、響きを作り、息も長ければ長いほど良いとされますが

 

そこをどう考えてますか?

 

時間は作ったとしても環境がないと言う、それは私はどう言っていいかわかりません

 

私に環境が無かった時、朝早朝なら、500円で貸してもらえるスタジオへ通って練習していた時もありました

 

7月から私の生活は家では練習ができなくなりそうなので、またそう言う生活になりそうです

 

お金がとにかく、細々かかるなと思います

 

でもそうやって培ったノウハウを守るしかないなと思います

 

どうなるやらです

 

歌は歌うように作られた筋肉で歌うので、とにかく毎日トレーニングをしないと声は保てません

 

レッスンで歌うくらいの声は、何とかして保とうと思います

 

それから、声と向き合うことをしてください

 

どうしたら良い響きとなるのか

 

楽譜を読むのが練習ではない、それは歌うための準備をしているだけであって、歌の本当の練習ではない

 

歌の練習というのは、声の質についていつも研究する事、それには、本当に声を出さないと、判らないと思います

 

あなたが本当にしたい事はなんですか?

 

一番エネルギーを注ぎたいことはなんですか?又は、注がねばならないことはなんですか?

 

歌の優先順位が二番、三番なのだな、と、感じてしまった日には、結構ガッカリ

 

歌を一番に、何を差し置いても一番に愛してくれる人と、コミュニティーを作りたいのだが

 

二番、三番なら、私は・・・・・と思います

 

あれもこれもしたい、それもその方の人生や、価値観です

 

自由に考えてください

 

今や学歴云々の時代ではないので、音楽大学を出てなくても、音楽家になる人は増えると思いますので、私の意志も、述べておきます

 

ここは、本当に歌えるようになりたい人の為の場であって、ただのお遊びの場ではありません

 

鼻からも口からも吸ってはいない

歌うためのブレスは、息を吸う、というよりは

 

息を身体に取り入れてる、という感覚

 

鼻からも吸ってない、口からも吸ってない

 

フレーズを歌う前で大抵、息をいれますが

 

母音がOなら、口元も軌道もOの形で息を入れます

 

母音がIなら口元も軌道もIの形で息を取り入れます

 

口からも、鼻からも吸っていない

 

吸うという概念ではない

 

横隔膜が下がれば勝手に空気が流れてくる

 

少なくとも、鼻から吸い上げてはいない

 

口から乾いた外気を喉を通さない

 

何も吸ってはいない

 

空気が流れてくる、勝手にある、身体の中に自然にある、そういう状態

 

吸う、て、全然感覚的に合わない

 

全て言葉を変えて行こうと思います

 

吸っていたのでは、それでは目が回って気分が悪い事でしょう

 

吸ってない、吸い上げてはいない

 

横隔膜を下げたら、勝手に身体に流れ入ってくる

 

横隔膜を下げたら、もう息が身体の中にある

 

そういう感覚です

 

そして、声を出しながら、身体を太らせながら歌う

 

お腹周りは、しぼまない

 

歌いながら、身体は太らせている

 

というより、もう中の一点で支えているから

 

何も考えてない、中の一点が勝手に支えているから

 

歌いながら歩けるし、腰も曲げられるし

 

寝ながらでも歌える

 

それは、中の一点で支えているから

 

息を吸う、支える概念はもうない

 

息も吸ってないし、支えてもいない

 

そんな感覚ではない

 

勝手に息は入ってくるし、勝手に支えられている

 

歌うぞと思った瞬間に、もう息はある

 

いちいち吸って、ましてや吸い上げて、支えていたら

 

そういう感覚では、身体はガチガチだ

 

身体はくにゃくにゃでないといけない

 

そうでないと、芝居はできない

 

そうでないと、オペラはできない

 

誰に習った訳でもない、長く毎日毎日、ほぼお休みなく歌っているうちにそうなった

 

そう結論づいた

 

私の手法

今日も、朝からエネルギッシュにオペラアリアを教えておりました

 

地方からはるばる来てくださって、どうもありがとう

 

それで思います

 

私は教える事が嫌いなのではないと

 

今日の方は、若い!というのもありますが

 

音楽大学を出てまだそう年月は経っていないという事もあるので、やはり反応が早い

 

意識もそれなりにあるのだと思います

 

ですが息の使い方、吸うことさえもまだおぼつかない

 

何も教わってきていないと見ます

 

歌うに当たって、やはり日本人が一番始めにやらないといけない事は

 

喉を開けることでした

 

その見解は今日確信致しました

 

2小節でワンフレーズとなるフレーズ、長くても3小節を、プツプツ切って途中で息をしていましたが

 

レッスンの終わりには、切らずにワンフレーズを、ワンフレーズとして歌えていました

 

喉が開きだすと、一瞬にしてできるようになる事を

 

なんで4年大学行ってて普通に歌えないのか?

 

その子のせいではないことが明らかです

 

普通にこのようにレッスンをして、時を過ごして行こう

 

普通の当たり前のレッスンです

 

大切な事を順序立てて当然の如く教えます

 

教える方法を講師側は常に考えなくてはなりません

 

そしてただ、正しい事を伝えるだけでいいことです

 

喉が開けば一瞬で、息も長く続きます

 

一瞬で支えもできるようになる

 

一瞬でできる

 

後は歌うとなったら、いつでもそれができるようになるまで

 

研究心をもって練習するのみです

 

自分のものにするのです

 

私、講師は、知っておくべきです

 

日本人は特別喉を開ける方法を最初に教えなければならないことを

 

喉の開け方を教えられないと行けません

 

息と支えの話もしますし、勿論教えます

 

これぬきでは絶対、歌にはなりません

 

でも最終的には支えるという概念も失くなるほどに

 

どんな格好をしていても、内側の一点で支えられているので、腰を曲げていても、寝そべっていても、支えてる状態にまでなっていかないといけない

 

喉が開いて歌えなかったら、到底支えられません

 

喉が開いて声が軽いから支えられるのです

 

腹式呼吸と支え、口元のフオーム、発音の仕方云々より、先ずは喉を開ける事の重要性を重視した教え方を

 

喉がいかに開けられるかを重視して教えるべき、と、私の手法はそれとします

 

喉の開け方は2つの手法があります

 

高音の時、顎のちょうつがいが出るように動かすのが目安となりますが

 

大切なのは、下顎ではなく、上顎が上がる事を大前提とします

 

これはまたもう一度全員やり直さなくてはなりません

 

そして講師は喉の開いていない声と、開いている声を正しく聞き分ける耳を持たないといけない

 

特に低音から中間音にかけて、瞬時に開いているか開いてないかそれを正しく聞き分ける力をもっていないといけない

 

それから 自分で研究しない者は、絶対に歌えるようにはなりません

 

何故なら、身体を操縦するのはその本人だからです

 

本人にしか解らない加減があるからです

 

では趣味志向の方々はどうしましょう

 

環境がない、時間がないという事です

 

そうですね、としか言いようがない

 

趣味で習いに来る生徒に練習をしてきてください、とは言わないという先生は正しい

 

私もそうしてきました

 

でも、ある時から私はとても言うようになりました

 

ですが、やはり言うのは止めておきましょう

 

負担に感じては申し訳ない

 

そもそも大人の世界で言う必要はないのです

 

どうしても歌えるようになりたい人は、研究したい、練習したくなるはずで、環境もそれなりに自分で工夫して作り、やりたい人は、プロもアマチュアも関係なくそれをやります

 

プロ志向でもやらない人はやらない

 

ですが、プロ志向の人がもし練習もしてこない、研究心も持たない人は

 

私がもしプロデューサーなら使わない、舞台には立たせません

 

それだけの事です

 

趣味志向の方に心に負担はかけてはならない

 

雰囲気を楽しんでおられるのだから

 

講師側はそこをよくわかって心の内で割り切らなくてはならない、それで生計を立てるなら尚の事

 

 

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